あなたは人望が厚い人?「ために」で分かる人望レベル
- 2020.12.24
- Vol 3 人望と影響力 シリーズ「ここに神経を使う人が逸材になる」
- #人望と人気は異なる, #何のために自分を資するか?
Vol 3 人望と影響力
シリーズ「ここに神経を使う人が逸材になる」の第3のテーマは「人望と影響力」です。人望がある人とはどんな人なのか?様々な角度から検討していきます。
はじめに
「人望がある人」「人望が厚い人」とはどんな人でしょうか?
辞書には人望とは「その人に対して多くの人が寄せる尊敬・信頼・期待の心」と記載されています。職場やプライベートにおいてより尊敬され、より信頼され、より期待される人になるために、コミュニケーション術を研究したり性格の改善に努めたりしている方もいるかもしれません。
今回は、個人的な影響力を論ずる上で欠かすことができない「人望」について、1つの視点をご提示したいと思います。
人望モデル
人望の有無を考える基準の一つに、その人が「何のために自分の時間・労力などのエネルギーを使って生きているか?」が挙げられます。
上は、5つの次元の「ために生きる人」の区分と、それぞれを人はどう呼ぶか?を図にしたものです。下から確認していきましょう。
・自分のために生きる人=小者
一番下の「自分のために生きる人」は、自分の時間、労力などのエネルギーの大半を自分の仕事、勉強、スポーツや旅行などの趣味活動に自分の有益になることのために使う人です。このような人は、人望について論ずる上では「小者」となります。自分一人が身を立てて独立した生計を営むことは簡単なことではありませんが、自分のために頑張って働く、自分のために頑張って勉強するなどで得られる尊敬・信頼・期待は、そこまで大きくはありません。
・家族のために生きる人=凡人
下から二番目の「家庭のために生きる人」は、自分の時間、労力などのエネルギーの大半を、自分の家族のために使います。社内の人間関係のストレスに苛まれながらも家族を養うために働く、キャリアを諦めて子育てに専念する、自由に使えるお金と時間を親の介護に当てるなど、家族の幸せのために献身的に生きる人です。このような人は多くの人たちと共通の悩みを有しているという意味で「凡人」と評されます。
・会社・地域のために生きる人=大者
上から三番目の「会社・地域のために生きる人」は、自分の時間、労力などのエネルギーの多くを、組織や地域社会の発展のために使います。今はほとんど使われなくなった言葉に「滅私奉公」がありますが、私利私欲を捨てて公的なことや公的機関、または主人に仕える生き方は、古来から多くの尊敬を集めてきました。昨今では、組織のため・地域社会のためと言いながら、その実自分のために生きる人が多い残念な現状がありますが、「大物」と評されるのは個人や家庭を超えた単位で生きる人だと言えます。
・国家・民族のために生きる人=偉人
上から二番目の「国家・民族のために生きる人」は、自分の時間、労力などのエネルギーのほぼ全てを国家単位で取り組むべき課題に投資します。「日本の政治を良くするため」「日本の貧困問題を解決するため」など立派な理念のために奮闘する人は、その成果が現れるようになった段階で「偉人」と評されるようになります。当然、理念を持つだけで実行しない人、また公務員など云わば”公僕”として国に仕える立場にあっても、実際は自分の生活のためだけに生きる人の場合も、偉人とは言い難いでしょう。
・世界のためにに生きる人=聖人
一番上の「世界のために生きる人」は、私利私欲をはるかに超えた崇高な生き方によって人々を感動させる人です。釈迦、キリスト、マザーテレサなど聖人と呼ばれるにふさわしい生き方をした人が該当します。
このように、上記のモデルは「ために生きる」の「ために」単位の大きさによって、人望の大きさが変わることを示しています。皆様はどの区分に近いでしょうか?
人望があっても人気があるとは限らない
ここで留意すべきことは、「人望」と「人気」は異なるということです。
「人気」には様々な要素がありますが、人は基本的に自分や自分の属するコミュニティに「良くしてくれる人」「有益をもたらしてくれる人」に好意を抱くものです。反対に自分や自分の属するコミュニティに良くしてくれず、損害を与える人のことは好きになれません。
政治の世界でも、国政を考える政治家が国民から評価と尊敬を得ても、地盤や支持団体に便益を図れなかったことで人気を失ってしまうのはよくあることです。
つまり、人望を集める生き方をした人であっても人気を得られるとは限らず、むしろ「ために生きる」の単位が大きい大物や偉人、聖人について、一般の人たちが「自分に良くしてくれなかった」「自分たちに有益を与えてくれなかった」という観点だけで評価し、嫌うことも有り得ると知っておくべきです。
別の表現をすると、「ために生きる」の単位が大きい大物や偉人、聖人について、「我が国のために尽力してくれて、あの人は立派だ」と高く評価する雰囲気がある次元の高い国やコミュニティがあれば、大物、偉人、聖人も人気を博するようになるでしょう。
まとめ
ニッコロ・マキャヴェリは名著「君主論」の中で、”良い人でいたければ強いリーダーにはなれない”と主張しています。君主として国家を統治する際は、個人的な利益だけを追求する小者たち皆から人気を得ることは不可能だということでしょう。
マキャヴェリの論考は「反対派は容赦なく切り捨てる」「自分が目指す目標のためなら手段を選ばない」など功利的な面が注目されがちで、それこそ現代社会においては”不人気”かもしれませんが、坂本龍馬、ガンジー、キング牧師、キリストなど、反対派に殺されたリーダーは枚挙に暇がないことも事実です。彼らには人望がなかったのではなく、小物から不人気だったのです。
「ために生きる」の単位を大きくし生き方の次元を上げることが人望を得る上で欠かすことができないこと、そして人気を無視はできないけど人気を得ることに腐心してもいけないことを、まとめとしてお伝えしたいと思います。
<参考文献>
『新訳 君主論』ニッコロ・マキャヴェリ著/池田廉訳 中央公論新社
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