神学から考える「人生の目的」と「私たちが持つべき意識」

神学から考える「人生の目的」と「私たちが持つべき意識」

Vol 2 目的意識と効果性

シリーズ「ここに神経を使う人が逸材になる」。第2のテーマは「目的意識と効果性」です。先行き不透明な時代(VUCA時代)においては、働き方がますます多様になることが予想され、今まで以上に働く人個々人の目的意識が重要視されるようになります。そしてその目的意識は、個人が社会やコミュニティにもたらし得る有益と効果へのコミット(決意)と切っても切れない関係があります。

はじめに

「何のために?」私たちが生きていく時、しばしば自分を悩ませるものが、この疑問です。

私自身のことを考えたときに、小学生の時には「何のために遊ぶ時間を我慢して、宿題をやらなければいけないんだ」、中学生の時には「何のために社会のルールを守る必要があるんだ」という疑問がありました。

「何のために?」という子供の頃に持つ純粋な疑問のいくつかは「大人になったら分かるよ」と答えを先送りされることもありました。確かに、大人になった今では、大体のことにおいては理解ができます。

しかし、十分に成長して大人になり、自ら情報を調べられ学ぶことができるようになった今でも、「人は、何のために生きるのか?」という疑問は、しばしば私たちのことを襲ってきます。今日はこの「人生の目的」について、神学の観点からお伝えしたいと思います。

目的地にたどり着くためにルールがある

目的地に到着するには道が必要です。道路や線路、目には見えませんが空や海にも航路があり、道に沿ってさえいけば目的地に到達できます。目的地に到達するために必要な道が、「ルール」です。

「ルール」について理解するために、中学生に向けて「法教育」があります。法教育推進協議会では「ルール作り学習」の必要性について次のように明記しています。

「法は共生のための相互尊重のルールであり、国民の生活をより豊かにするために存在するものであるということを、実感を持って認識させるために、ルールをどのようにして作るのか、ルールに基づいてどのように紛争を解決していくのかについて主体的に学習させる」。

法は「生きるため」「共生」という目的を成すために欠かせないものなのです。
例えば日本国憲法では「平等権」を保護するという目的のために「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、心情、差別、社会的身分または門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、左右されない(第3章第14条)」。と定めました。

私たちは、目的のための手段としてルールを使うのです。

ルールの中で最も大切なもの

旧約聖書には律法と言われる数多くのルールがありました。モーセは「十戒」で「殺してはならない。盗んではならない(旧約聖書出エジプト記20章)」と、人が安全に生きるためのルールを伝えました。

古代のイスラエルでも集落のような集まりから国家となり、社会が発展していくにつれ、目的も多様化し、その目的を果たすためのルールも増えるようになりました。

「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。 イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。 これがいちばん大切な、第一のいましめである。第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
 (マタイによる福音書22章36〜39節)

モーセの時代から約1500年後に現れたイエス・キリストは「様々なルールの中でどのルールが1番大切か?」という問いに対し、最も大切なものは「愛」だと答えました。神を愛することには、自分や地球万物を創造した存在を認め、そのすべては愛によるもので、結局自分は愛によって生まれてきたのだと「自分を認める」意味も入っています。「自分が愛によって必要とされて生まれてきたように、周りの人々も愛によって生まれた大切な人であるから大切にしなさい」というメッセージです。

様々なルールの中で最も大切なことは、「すべてのものに愛を持って接する」ことなのです。

愛を備えた人になること

キリストはルールを形式的に守ることよりも、神のような愛を本質的に備えることの重要性を、その生涯で説き続けました。当時のイスラエルでは律法を守ること自体が目的となっており、根本の目的である「愛」が失われていたのです。

「わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである
(新約聖書マタイによる福音書5章17節)」

イエス・キリストは、ルールに縛られた当時の人々に殺されてしまった訳ですが、その教えは後世に伝え続けられています。

また、イエス・キリストを愛し、多くの恵まれない人々を愛したマザー・テレサはこのように伝えています。

「あなたに出会った人がみな、最高の気分になれるように、親切と慈しみを込めて人に接しなさい。あなたの愛が表情や眼差し、微笑み、言葉にあらわれるようにするのです。」(マザー・テレサ)

人生の目的とは何でしょうか。お金を稼ぐことや、社会的な名声を得ることが目的だという人もいるでしょう。しかし私たちはその前にまず深い愛を備えた人にならなければなりません。その愛とは、自分や自分が好きな人だけを愛することではなく、自分とは関係のない人のことも広く愛するような、次元の高い愛です。

愛の成長段階

その時その時、遂げるべき成長があるように、愛する次元にも成長があります。

①自分を愛する
②相手(パートナーのような存在)を愛する
③相手との愛によってできた、子供や孫(のような存在)を愛する
④社会や人類を愛する

この4つはバラバラに存在するのではなく、積み上げていくイメージです。

1つ目は、自分を愛することです。自分の価値を知らなければ相手の価値を知ることができませんし、自分を愛せなければ相手を愛することはできません。自分を大切にし、自分の価値を失わず、守っていくことが大事です。

2つ目に、相手を愛することです。私たちの愛の対象はさまざまにありますが、愛の対象が人間の場合にこの次元はとても高くなります。なぜなら人間は「思う通りに返ってこない」からです。だから愛することで、もっと素敵になろうと思って努力し、時には自分が我慢したり、考えを柔軟にしたりします。人を愛することで人は自然と成長していくのです。

3つ目に、相手との愛によってできた存在を愛することです。分かりやすく言えば子供ですし、また相手と作った会社があるならばその社員、製品なども当てはまるでしょう。相手と作ったものを相手とやり取りしながらより良くなるように努力し作っていきます。作り出すことによって自分と相手と2人だったところから責任の範囲も広がり、更なる成長が求められます。はじめは自分が直接関わることがほとんどですが、この次元で人やモノを愛で治められるようになれば、更に大きなものを担っていきます。

4つ目に、社会や人類という自分とは直接的に関係がないものを愛することです。
日本と地球の反対側の海の温度が私たちに大きな影響を与えることを知っていますか?このように自分とは直接は関係がないと思えるようなことでも間接的には必ず繋がっています。自分とは直接の利害関係がない、社会や人類の問題に対して、まるで自分の相手を愛するように接することができるようになれば、それは神様のような愛を備えたと言えるのではないでしょうか。

愛の成長には終わりがない

私たちが生きていく時に目指し、目標とするもの、それは「愛の完成」です。作品を作る作家が、作ったものができたと思っても、また気になって手直しをするように、愛も次元を上げれば上げるほど、まだまだ高い次元があるものです。

「愛を完成させる挑戦」には終わりがありません。終わりがない挑戦というと、辛くて大変なイメージを持つかもしれませんが、愛の挑戦はすればするほど自分が成長します。結果的に次元が上がって自分が楽になり、楽しく、喜びが溢れます。

地上を走る時には障害物が多く、ぶつかるものが多いです。しかし、上空に上がって空を飛ぶと障害物がなくなり悠々とスピードを上げて進むことができます。そのように、自分の次元が低い時には、生きる上での様々な障害物、自分の足りなさや未熟さで進むのが困難だとしても、愛の次元を上げることで自分を成長させ、性格を磨いていくと、以前は常にぶつかっていたことでもぶつからずに楽に進んでいけるようになります。

まとめ

人は何かを目的にし目標にして生きていきます。その根本は「愛」です。しかし、それを相手に求め、自分の思う通りの結果が返ってこない場合は失望し、疲れ果ててしまいます。「自分を愛し、隣人を愛する」という「自らの愛の次元を上げる」ことを目的にした時には、他者から見返りを求めることをしないため、あまり疲れることはありません。

「愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。 不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
(コリント第一の手紙13章4〜7節)」

今日は人生の根本の目的が愛であることと、自分の愛を成長させる重要性についてお伝えしてきました。神のように次元の高い愛を備えた人は、多くの人に力と様々なものを与えてあげられる存在になると思います。そのような愛に、絶え間なく挑戦する存在になりたいものです。