「利益」と「平和」〜二兎を得る組織の作り方〜

「利益」と「平和」〜二兎を得る組織の作り方〜

はじめに

平和とは、「おだやか、やわらぐ」という意味があり、戦争がなく安隠で、恐怖や暴力のない状態を意味します。ロシアによるウクライナ侵攻があり、アジアを含む世界中で安全保障上の問題が起こっている現在、誰もが大切だと考え、願うものが平和です。人々は口では「平和を願う」と言いますが、平和とは国連や政府機関、非営利団体のみが作るべきものなのでしょうか。営利組織においても利益の追求だけではなくCSR(社会的責任)活動が必要とされるように、営利目的の組織も平和を作り出すことは必要です。利益を得ながらも、平和を作り出すためにはどうすれば良いのか、組織運営の観点から考えていきます。

富や利益を求めつつ大事にすべきもの

近代日本の始まりに、481社の会社設立、500以上の慈善事業に関わり、「日本資本主義の父」とも呼ばれるのが渋沢栄一です。渋沢は孔子の「論語」を「道徳の手本とすべき重要な教え」と捉え、ソロバン(経済活動の意)と論語はかけ離れているようで実はとても近く、これを一致させることが急務だと考えていました。論語の教えを実業の世界に植え込むことによって、そのエンジンである欲望の暴走を事前に防ごうと試みたのです。

渋沢の言葉が、『論語と算盤』の中でこのように紹介されています。

「道理をともなった富や地位でないのなら、まだ貧賤でいる方がましだ。しかし、もし正しい道理を踏んで富や地位を手にしたのなら、何の問題もない」

「幸いにして世間一般の進歩とともに金銭に対する観方も随分まともになり、経済活動と道徳とを分けない傾向が高まっている。特に欧米では「まっとうな富は、正しい活動によって手に入れるべきものである」という考え方が、着々と実行されてきている。わが国の若いみなさんも、深くこの点に注意して、金銭のマイナス面に足をとられず、道義と一緒にする形で金銭の本当の価値を利用していくよう努力してほしい、と望むのである。」

富や利益を得ようとする人こそ、同時に論語や聖書など、人としてのあるべき道である真理を学ぶことが必要です。人間は欲望のままに生きる獣とは異なるべきです。共存・共栄は必ず可能であり、求め追求をすべきものです。正しい倫理観を持って度を超えた欲望を治め、他者とは対話、交渉をし、公正な取引をすることで、自分も存在し他者も生かせるようにできる能力があるのです。

他者を排斥したり、蹴落としたり、攻撃してまで、富や地位を得ようとはしないことです。略奪や不正によって得た富は、正しく有益な使い方ができませんし、いつか自分も同じことをされるようになるでしょう。奪うものは奪われるのが法則であり、奪った後も後ろめたさと復習への不安で、到底平和ではいられません。

組織の責任者は、正しい活動によって得たまっとうな富で人々を生かし、守るべきであり、平和な状態を維持するための不断の努力が必要です。

富では得られないが平和では得られるもの

私も論語ではないですが、聖書を学んだことが仕事に生きてきました。

私が相談に乗らせていただいたことのある方で、兄弟同士のトラブルに遭われている方がいらっしゃいました。資産家のお父様が亡くなられて、相続人は兄弟2人だったのですが、相続を巡って争っているという状況でした。お父さんの介護はお兄さん夫婦がされていて、弟さんは仕事も忙しくほとんど面倒を見ていなかったので、お父さんはお兄さんに多く遺産を残そうとされていたのですが、亡くなられた後に弟さんがお兄さんに対して激しく抗議をしてきたそうです。それまで仲が良かった兄弟が、このままでは裁判になりそうだと、お兄さんがかなり頭を悩ませていらっしゃいました。

その時様々な話をしましたが、イエス・キリストの「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しなさい」という言葉の意味を、噛み砕いて説明をしました。かなり悩まれた末、お兄さんは資産をほぼ平等に、むしろ弟さんに少し多めに分けることにされましたが、その時に前述のキリストの言葉が思い出されたそうです。

結果的に、弟さんはお兄さんに深い感謝を示し、それ以降兄弟は仲良く助け合っていらっしゃいます。ご兄弟とも、受け継がれた資産よりも多くの富も築いていらっしゃいます。

相続で兄弟の縁を切ってしまうような方もしばしば見られますが、富は得ることはできても、幸せや兄弟の愛を得ることはできず、大切な家族を失ってしまいます。自分の富や利益は少なくなったとしても、平和を成そうとすることで、愛や幸せ、大切な家族を得ることができるのです。

利益や富を作り出すことは必要

どんな個人であれ、組織であれ、存在していくにはリスクはつきものですから、自らが存在するために努力し、勤勉であることは絶対に必要です。勤勉さと努力によって利益や富を得ることは、平和を作る大前提と言えます。

利益や勝利を目指し努力をする中で、成長し、実力が向上しますし、自らの次元が上がらなければ、富や利益を続けて得て、存在し続けることは難しいのです。

イエス・キリストは、神様が人間に与えた才能、時間などを努力して活用し、富を増やすことによって神からの祝福を受けると話しました。神様からの祝福とは天から降ってくるものではなく、自分に与えられたものを自ら汗を流して努力し開発し、能力に見合った対価を得ながら成長していくことなのです。

また天国は、ある人が旅に出るとき、その僕どもを呼んで、自分の財産を預けるようなものである。 すなわち、それぞれの能力に応じて、ある者には五タラント、ある者には二タラント、ある者には一タラントを与えて、旅に出た。五タラントを渡された者は、すぐに行って、それで商売をして、ほかに五タラントをもうけた。二タラントの者も同様にして、ほかに二タラントをもうけた。しかし、一タラントを渡された者は、行って地を掘り、主人の金を隠しておいた。だいぶ時がたってから、これらの僕の主人が帰ってきて、彼らと計算をしはじめた。すると五タラントを渡された者が進み出て、ほかの五タラントをさし出して言った、『ご主人様、あなたはわたしに五タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに五タラントをもうけました』。主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。二タラントの者も進み出て言った、『ご主人様、あなたはわたしに二タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに二タラントをもうけました』。主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。一タラントを渡された者も進み出て言った、『ご主人様、わたしはあなたが、まかない所から刈り、散らさない所から集める酷な人であることを承知していました。そこで恐ろしさのあまり、行って、あなたのタラントを地の中に隠しておきました。ごらんください。ここにあなたのお金がございます』。すると、主人は彼に答えて言った、『悪い怠惰な僕よ、あなたはわたしが、まかない所から刈り、散らさない所から集めることを知っているのか。それなら、わたしの金を銀行に預けておくべきであった。そうしたら、わたしは帰ってきて、利子と一緒にわたしの金を返してもらえたであろうに。さあ、そのタラントをこの者から取りあげて、十タラントを持っている者にやりなさい。おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。
<マタイによる福音書25章14〜29節>

平和とは作り出すものである

利益も努力しなければ得られないように、平和もどこかにあるものではなく、自分から作るものです。平和とは、自分が十分満足行くまで富を得てから、成功してから作るものでもありません。今の自分でも誰かに与えられるものが必ずあるように、今の自分が作り出せる小さな幸せが必ずあります。身近なところから小さな平和を作り出すことで、少しずつ平和の輪が広がっていくのです。平和を自ら作り出す4つの方法をご紹介します。

1.感謝する

人は種を蒔いた通りに刈り取るようになります。平和の種を蒔くのか、不満と争いの種を蒔くのか、種蒔きが重要です。不平不満の種を蒔くと、いつも不平不満を刈り取り、すべてが否定的に見えてきます。そのような心では争いを生むだけです。平和の種とは、感謝することです。生かされていること、与えられていることに満足し、感謝することです。感謝は肯定的に生きることに繋がり、他者を受け入れて思いやる余裕を生み、平和を作り出すことができる。

2.笑顔

顔は、その人の大事な看板です。看板の暗いところには客が来ないので、明るく素敵な看板を作って掲げるように、すぐにできるセルフマーケティングは笑顔です。笑顔は平和、平安を与えられる雰囲気を作り出します。

3.相手との共通点を探す

他者とコミュニケーションを取る時、様々な方法があります。違いを見つけて学ぶという方法もありますが、オススメは共通点を探すことです。出身地、共通の趣味、行ったことのある場所などでも良いですし、悩んでいることや心配なことなど、実は内面にも共通することは多くあります。そういった共通点を見い出せれば、「全然交われないと思っていたけど、実は同じところがあるんだ」と思えて、お互いの歩み寄る心が生じます。

4.真理を学ぶ

先述の通り、利益や富を得ること真理は一致します。自分がより良質な富を得てより多くの人を幸せにするためにも、真理を学び人格を磨くことが大切です。自分を削り磨いてこそ、争いをなくし、平和をなすことができるのです。

まとめ

人間の欲望や利益を求める心に終わりがないように、平和を作り出すことには終わりがありません。小さなところから少しずつ次元高く、規模も大きく、平和を作り続けていくことができます。神様はすべての人を個性通りに、別々に作りましたが、それは比べ合ったり、バラバラにさせるためにそうしたのではありません。違うもの同士が調和を成すことで無限の可能性があり、より幸せや喜びが大きくなるのです。世に不安が多く、利己主義に走りがちな今の時代だからこそ、平和の価値を再確認し、平和を作り出す人になっていきたいものです。組織運営に当たる人こそ、勝利や利益だけではなく平和を求め、慕うべきです。そのような人が増えれば、必ず未来は良いものとなるに違いありません。

「平和を作り出す人たちは、さいわいである。彼らは神の子と呼ばれるであろう。」(マタイによる福音書5章9節)