「なぜ、あの人はおかしな決断をしてしまうのか?」日本でリーダーが育たない要因”空気”の正体

「なぜ、あの人はおかしな決断をしてしまうのか?」日本でリーダーが育たない要因”空気”の正体

はじめに

「うちの上司は、いつも『検討します』と言うだけで、何も決めてくれない」
「部長が急に何かを決定したと聞いたが、それは現場のニーズとは全く合わない施策だった」
「会議で誰も発言せず、結局『空気』で物事が決まっていく」

皆さんの組織でも、このような光景は見られないでしょうか? ビジネスの現場において、「判断力」はリーダーの命です。「判断力の有無は、人間の賢さと愚かさの尺度そのもの」であり、社長業とは判断業だと言われるほど、リーダーが賢明に判断できるかどうかが組織の運命を左右します。

しかし、日本の組織では、この「自ら判断して動く」ことができるリーダーが極めて育ちにくいと言われています。 なぜなら、多くの人が「論理」ではなく、その場の「空気」を読んで動くことにあまりに慣れすぎてしまっているからです。


 

〈チェックリスト:あなたの組織の「空気支配」度〉 まずは、あなたの組織が「論理」で動いているか、「空気」に支配されているか、確認してみましょう。

  • 理念の形骸化:立派な理念はあるが、誰も覚えておらず、管理職ですら内容を忘れている。

  • 謎ルールの横行:「昔からそうだから」という理由だけで、誰も説明できないルールが存在する。

  • 意見=生意気:改善提案をすると、「生意気だ」「空気が読めない」「批判だ」とレッテルを貼られる。

  • 会議の沈黙:会議では誰も本音を言わず、有力者の顔色を伺って、最終的に「シャンシャン」で終わる。

  • 理由なき服従:「理解はできないけど、叱られるからやる」「皆がやってるからやる」が行動原理になっている。

いくつ当てはまりましたか? もしこれらの内3~4つが常態化しているなら、その組織は「思考停止」の状態に陥っている可能性が高いです。


「空気」に支配されると思考が止まる

私(編集部員)自身、一般社団法人や教会の運営に関わる中で、この「空気の支配」の恐ろしさを目の当たりにしてきました。

本来、教会という場所は「真理」に基づいて運営されるべき場所です。真理を学ぶために存在するのが教会だからです。しかし、残念ながらそこでも日本特有の空気が発生してしまうことがあります。 「聖書にこう書いてあるから」とか「より神の御心にかなった選択は何だろうか?」ということではなく、「あの長老がこう言っているから」「今までこうしてきたから」という「ムラ社会」的な無言の圧力が働くのです。

そうなると、人はどうなるでしょうか?

思考停止に陥ります。

「聖書の言葉の通りではないと思うけど、牧師が言うことだから(神の御心なんだろう)」「よく分からないけど、周りがそうしているから」。 そうやって「空気」に合わせてイエスマンを続けているうちに、人は「理にかなった判断をする」「決断に責任を持つ」という機能を自ら停止させてしまいます。その結果、言われたことしかできない「指示待ち族」になり、いざ自分がリーダーの立場になった時、何も決められない人間になってしまうのです。

私自身、教会の指導者たちが、「状況を把握できていないから決断できない」といって状況把握を延々と続けたり、反対に思慮の浅い発言や決断で信徒たちを混乱させたり心を傷つけたりしている様子を見て、深く失望した経験があります。 もちろん、全員が当てはまるということではありませんが、長年、真理を学ぶ場にいながら自分を高めてきたはずの人たちが、いつの間にか「忖度」「身内間でのかばい合い」「無責任」の体質になっていることに気づいたときは、とても衝撃でした。

「空気」の正体とは何か?

では、私たちの判断力を奪うこの厄介な「空気」とは、一体何なのでしょうか? 単なる「雰囲気」や「集団心理」でしょうか?

聖書的な視点を取り入れて日本文化を研究した山本七平氏は、この「空気」を西洋の人々に説明する際、「Air(大気、空気)」ではなく「Pneuma(プネウマ)」という言葉を用いました。「プネウマ」とは古代ギリシャ語で、「霊、精神、エネルギー」などを意味する言葉です。

少し驚かれるかもしれませんが、聖書の世界観を通して見ると、私たちの組織を支配している「空気」の正体は、単なるムードではなく、ある種の「霊的なエネルギー」であると捉えることができます。

聖書において、霊的な存在は大きく4つに分類されます。

  1. 神(創造主・聖霊)

  2. 天使(人を助ける存在)

  3. 悪魔(人を堕落させる存在)

  4. 人間の霊

非常に重要な点は、もしその場の空気が「神(真理)」から来るものでないならば、それは人間や、あるいは悪意ある何かが作り出した「想念、雑多な霊物(プネウマ)」に過ぎないということです。

「感じて」動くか、「判断して」動くか

日本の組織は、良くも悪くもこのプネウマ(空気)に敏感です。「熱しやすく冷めやすい」と言われるように、ひとたび空気が醸成されると、一瞬で全員が同じ方向へ流れていきます。

しかし、それは「自ら判断して動いた」のではなく、「空気に影響を受けて動かされた」に過ぎません。「空気」を感じて動くことばかりに長けた人は、環境の変化には即座に順応できるかもしれませんが、それは「流されている」だけであり、リーダーとしての主体性はないのです。

  

 

あなたがもし、職場の同調圧力や、あるいは様々なコミュニティで「独特な空気」を感じ、さらに息苦しさを感じているなら、それはあなたが「流されまい」と抵抗している証拠かもしれません。

「空気」は、私たちに「考えるな、感じろ」と迫ります。しかし、聖書が教える本来の在り方は、神以外の雑多な霊、想念(空気)に振り回されることではありません。

【まとめ】「空気」の支配から抜け出し、本物のリーダーになるために

組織に蔓延する「空気(プネウマ)」の正体を見破り、その場を支配するムードに流されず、真理に基づいて「判断する」こと。

それこそが、これからの時代に本当に必要とされるリーダーシップではないでしょうか。

「空気」を読んで動くことは、一見すると協調性があるように見えますが、それは「自分の人生のハンドルと組織のハンドルを、誰も責任を負わない何者かに委ねる」ことに他なりません。

流されることをやめ、立ち止まって考え、真理を選び取る。その小さな一歩が、あなたを、そしてあなたの組織を、見えない支配から解放する鍵となるはずです。

《参考図書》『空気の研究』山本七平著 文春文庫や9-14