「ありのままの自分」で良いのか!?「霊界」と「社会」の成功法則

「ありのままの自分」で良いのか!?「霊界」と「社会」の成功法則

最近は、陸上やサッカーなどのスポーツ、音楽やダンスなどの芸術やカルチャー、ビジネスの世界でも、過去に例のない活躍をする若者が増えてきていますね。彼らは個性的で自信を持っており、いわゆる「日本人らしく」なくて、大きな希望と夢を与えてくれます。そういった人々の活躍もあり、他者とは違った「自分らしさ」「個性」というものをより強く求める、今の時代の流れを感じるのは私だけでしょうか。

一方で、「際立った個性」というものを早くから見つけられる人は一握りで、「自分の個性」を探し、悩み、不安に思う人も多いと思います。教会にも、「個性」を探して来られる方がたくさんいらっしゃいます。「個性」を重視する時代、社会を見てみると、「ありのままの君が素晴らしい」というメッセージが溢れています。「個性」=「ありのままの自分」という図式でしょうか。

皆さんはどう思われますか?「ありのままの自分」でいたいですか?
私は、「ありのままでは絶対ダメ」と思っています(笑)。今回は、自分自身の変化に対してあまり積極的になれない方に、霊界も含めた世の中の理知をご紹介したいと思います。今回は普段よりも壮大な話ですが(笑)、お付き合いください。

 

「成長」なしに幸せはない

人はどういう時に幸せを感じるでしょうか?
美味しいものを食べる時、美味しいものを食べさせる時。ものをもらう時、ものをあげる時。愛される時、愛する時。簡単に言いますと、受ける時にも幸せを感じますし、与える時にも幸せを感じます。どちらか一方だと、不満です。受けるだけだと飽きてきて、その内、負担になったり申し訳なくなったりするし、与えるだけだと「何で自分だけ!」と怒れてきます。この両方のバランスが幸せのポイントです。

そして、もう1つポイントがあります。それは「成長」です。水準が、ずーっと同じだったら?答えは簡単、飽きます。美味しいお母さんのカレーも毎日出てくると飽きてきて、違うメニューが食べたくなるように、変化がなければ倦怠が来ます。

愛もそうです。現状維持は衰退の始まり、という言葉がありますが、私が結婚する際にある先輩夫婦が教えてくれた夫婦円満の秘訣は、「夫婦生活に変化をつけること」でした。

ここで言う「変化」とは、ただコロコロ変わるということではなく、次元を上げて変わることを意味します。別の言葉で言うならば「成長」です。次元が上がってこそ、成長してこそ、全てにおいて幸せだと感じることができます。

 

天国は誰でも行ける世界ではない

日本人は「死んだら(そのまま)天国に行く」と思っている人が多いと聞きます。しかし、聖書的な観点では異なります。ちょうど高校を卒業したら誰でも最高学府に入学できる訳ではないように、世の生が終わると誰でも最高に良い世界である天国にそのまま行ける訳ではないのです。どんなに生まれつき優秀な人であってもそれなりの準備をしてこそ難関校に行けるように、山頂からの絶景を見たいなら苦労しても山を登らなければらないように、霊界で最も高い位置にある天国に行くためには、この世で生きる時、それに該当する努力と準備が必要なのです。

もしかしたら、「そんなのひどい、不公平だ」と思われるかもしれません。しかし、もし天国が誰でも努力なしにありのままの姿で行ける世界だとしたら、人生を欲望のまま生きた凶悪犯と、一生懸命善を行なった人が同じところで一緒に暮らさなければいけなくなります。それこそ不公平で、理不尽です。この世で努力する意味がありません。霊の世界は公義(神様の基準で公平)の世界なので、天国の住人として相応しく自分を変化させた人だけが行くことができるようになっています。

2000年前、イエス・キリストはこのように言いました。「天国は良い真珠を探している商人のようなものである。高価な真珠一個を見つけ出すと、行って持ち物をみな売り払い、そしてこれを買うのである。」(マタイによる福音書13章47節)
比喩で書いてあるので様々に理解ができますが、ここで私達が認識すべきことは、天国に行くのに相応しい自分になるためにも、全財産を売り払って高価な真珠を得るようなチャレンジが必要だということです。イエス・キリストは「もっと上の世界を目指してチャレンジしていく気質がある人」、そのような人が神様の国である天国を相続するようになると説いています。

頑張ったら頑張っ た分、確実に報いられる世界、それが霊界の法則であり天国です。実はこの世の中も同じで、誰でも神様の御心の中で努力し、もがいて労苦したことは全て結果として受けられるように、神様は法則を定めておかれたのです。努力なしに成功はあり得ません。

 

時代も変化している

ところで、私達が生きている現代社会は猛スピードで変化し、とても発達しています。歴史上の王達が豊かな暮らしをしていたと言っても、コンビニや飛行機を自由に使える今の小学生達の生活水準の方がずっと高いと言われています。
そのように、時代に従って宗教も文化も経済も・・・様々な分野が発展しているので、変わらないことは「リスク」を抱えることになります。ちょうど季節が巡って夏になっているのに、真冬のコートを着ていたらおかしいように、変化に合わせて能動的に変化することが自然で相応しいのです。変化を恐れず、柔軟でありたいものですね。

 

まとめ

こだわりや、自分の意思をしっかり持つことは大事です。しかし、中庸という言葉があるように、何事も「程度」があります。度が過ぎるほど、こだわりを持つことは自分の滅亡を招きます。

変化というのは痛みを伴うものです。真珠は貝に核を入れて作りますが、貝は痛いし負担が大きいけれど、その痛みの上に高価な真珠を作ります。そのように、私たちも痛みやもがきなしには真珠のような自分は作れません。
耳に良い言葉だけがプラスになるのではなく、時には、耳には痛い言葉、腹には苦い言葉こそが自分の成長に繋がり、作品のような自分自身に繋がるのではないでしょうか。

神様は誰一人として同じ人は作らず、唯一無二の生まれ持った素晴らしさを、例外なく一人一人に与えて作られました。天性の個性や長所は残しつつ、素敵に作りながら変化・進化し続ける皆さんであることを祈念しています。