第二週「挑戦を妨げるリスクと解決方法」

第二週「挑戦を妨げるリスクと解決方法」

4月は新しく環境が変わったり、変化を迎える多くの皆さんにエールを!ということで、「挑戦」というテーマで記事を提供していきます。

はじめに

闇雲に挑戦すれば良いのではなく、すべてにおいては「判断」が命です。「挑戦しない」という判断もありますが、この判断も「挑戦」を基準にすべきです。「挑戦」というのは戦いを挑むという意味ですから、自分との戦いを軸に判断していかなければなりません。「成長」「発展」「次元を上げること」を大前提とし、古い自分や弱い自分、衰えていく自分と戦って打ち勝つための判断をするのです。例えば一攫千金のような甘い誘惑に負けず、地味でもコツコツと努力し、弱い自分に打ち勝つという「挑戦」もあります。高校時代に勝手に師と仰いでいた(笑)、プロレスラーのアントニオ猪木氏はリング上でよくこのようなことを言っていました。「人は、歩みを止めた時に、挑戦を諦めた時に、年老いていくものだと思います。」

挑戦を妨げるリスクと解決方法

誰もが必要だと思っていて、心では望むものが「挑戦」ですが、実際に行動するとなると急に難しくなるものも「挑戦」です。なぜ挑戦することは難しいのでしょうか。3つの理由を挙げてみたいと思います。

①得てきたものを手放さなければならないから
②もう一度チャレンジするための気力と体力があるか不安だから
③今の仕事や使命で満足をしているから

誰もが該当することがあると思うのですが、なぜこれらがいけないのでしょうか。そしてどのようにすれば、乗り越えられるのかを考えていきます。

得てきたものを手放さなければならないから

ものを買う時にはお金を支払うように、人は時間やお金、真心、青春、愛、様々なものを投資して、今の自分を手に入れます。自分の地位もそうですし、財産や人間関係などもそれに当たるでしょう。

得てきたものを手放さないでできる挑戦もありますが、ほとんどの場合、新しい挑戦には何かを手放すことが伴います。両手で何かを握っている時、握っているものを、手放さなければ新しいものは掴めません。得てきた苦労は分かりますが、これから得るもっと良いものを掴むチャンスを逃してしまうかもしれません。豪華な家も年が経てば汚れて劣化しますし、電気製品も性能の良いものがどんどん出てきます。地位を得た人も君臨し続けることは難しく、いつかはその地位を誰かに明け渡すことになります。人も、心ではずっと一緒だとしても、実際に誰かとずっと一緒に行動することは難しいです。

今持っているものは、見えるものです。これから得ようとするものは、見えないものです。この地上の形あるものはすべて有限ですから、有限なものに拘りすぎることは、無限の可能性を捨てるリスクにもなるということです。
そもそも皆さんが今大事に思っている財産、地位、人間関係なども、最初から得ることを予想していたものでしょうか。出発点では見えなくて不安だったものの、何かを得ようと必死に努力する中で予想していたものより想像以上に良いものを掴んだ、というものがあるのではないでしょうか。

今握っているものを手放してこそ、これから出会うもっと良いものを掴むことができるのです。

もう一度チャレンジするための気力と体力があるか不安だから

得るものが大きく難しいものであるほど、過程の労苦は大きいものです。得るまでの労苦を考えれば考えるほど躊躇しますし、得た時には得る前より年も取っています。気力と体力は放っておけば低下していくものですから、もう一度奮い立たせるには相当のエネルギーが必要となります。

しかし、体力は落ちていくかもしれませんが「知恵」はついていきます。人間の武器は腕力や体力だけではなく「知恵」です。足の速さではチーターに勝てず、跳躍力ではノミにも勝てず、力では象に勝てず、移動距離では渡り鳥には到底かないません。しかし、人間は「知恵」がどんな生き物よりも優れているので、作ることができる存在ですから、ブルドーザーを作って象より大きな力を得、車や飛行機を作ってチーターより早く渡り鳥よりも遠い場所まで移動し、ロケットを作って宇宙まで飛び上がることができます。

今のものを得てくる過程の中で、必ず自分の経験の中に「知恵」「判断力」といった宝物が隠されています。今こそ、それを掘り起こすべき時です!以前の若さや体力のある自分と比べるのではなく、今の自分の頭と知恵をフル活用して、これまでよりも短い時間でもっと良いものを得ることが必ずできます。

また、誰しも経験があるように、怪我をしたり病気になると、動くことも億劫になります。だからこそ、普段からの健康な体作りは必要だと思います。エレベーターに乗っていたけれども階段にする、少しだけ早く起きて読書や散歩をする、お腹いっぱい食べて飲んでいたところを少し我慢する、といった「少し努力」が明日の気力と体力を左右します。「少しだけ」積極的に動くことによる、体力貯金、気力貯金に挑戦していきましょう。

今の仕事や使命で満足をしているから

現在の仕事や使命に自分が満足しているとしても、続けていればいつかは飽きが来るかもしれないし、自分は続けてやりたいと願っても状況が変わってできなくなることもあるかもしれません。

今の仕事や使命に対し、「感謝する心」や「ありがたいと思う心」は大事ですが、「満足する心」を持つことは危険です。お腹がいっぱいだと、どんなに美味しいご馳走があっても食欲がわかず食べられないように、心も「満足」してしまうと、次の新しいチャンスを逃してしまいます。「もうこれで十分だ」と思わず、「まだもっと良くなる」という求める心を持ち続けることが、次のチャンスが来た時に掴むことができる準備だと思います。何事も、「腹八分目」ではないでしょうか。

守るべき大切なもの

挑戦を続けていくべき私たちにとって、大前提となる「守るべき一番大切なもの」とは何でしょうか?

聖書には、1人の金持ちの青年の話が出てきます。

すると、ひとりの人がイエスに近寄ってきて言った、「先生、永遠の生命を得るためには、どんなよいことをしたらいいでしょうか」。 イエスは言われた、「なぜよい事についてわたしに尋ねるのか。よいかたはただひとりだけである。もし命に入りたいと思うなら、いましめを守りなさい」。 彼は言った、「どのいましめですか」。イエスは言われた、「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。 父と母とを敬え』。また『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』」。 この青年はイエスに言った、「それはみな守ってきました。ほかに何が足りないのでしょう」。 イエスは彼に言われた、「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。 この言葉を聞いて、青年は悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。(マタイによる福音書19章16〜22説)

イエス・キリストは、彼の財産を奪おうとしたのではなく、人生で一番大事なものは何かを教えようとしたのです。本当に守るべきもの、それは「命」です。今日多くの財産を得ても、もし明日死んでしまうならば使うことができません。
「生きる」ということが本当に価値があるのです。私には妻と3人の子供やたくさんの家族がいますが、大きな家や高級車を得ることより、食べられて寝られる場所があり、家族が元気で仲良く一緒に暮らすことの方が嬉しいことです。できるならば、大切な家族のみんながずっと生きていてほしいと願います。それは私の家族だけではなく、この地球上で生きるすべての人に同じことが言えます。

どんなにお金があっても、命を買うことはできず、大富豪や財閥でも死の問題を解決することできません。人生を振り返ってみると、死にそうなところから生かしてもらったという経験がどんな人にも必ずあるはずです。命があることに感謝し、自分や家族、大切なすべての命たちがより良く生きるための挑戦を、私たちは続けていくのです。

本当のリスクとは

挑戦をするときの、本当のリスクとは何でしょうか。2つ挙げてみたいと思います。

①環境変化に適応できないこと、転換できないこと
②心と行ないの次元が上がらないこと

「僕は小学生の時はスーパースターのように何でもできた」と言って、残りの70年あまりの人生を送ることが幸せでしょうか?人生の中で、環境や状況は変化していきますから、それに伴って自分も成長し、変化していかなければなりません。

毎日毎日少しずつ状況は変わりますから、その都度必要なことを行なってこそ、人間は生きることができます。しかし、自分が得てきた物質や地位、名誉などが、「その都度必要なことを行なう判断」の妨げになることがあります。

大切な命を守り、もっとより良く生きるために、環境や状況変化に適応し、常に次元を上げて生きてこそ、幸せに生きることができるのではないでしょうか。

私の尊敬する牧師先生は、青年期に深い山奥に籠もって祈りと聖書を読むことに没頭し、人生を深く考えた時があったそうですが、その時毎日沈んでいく夕日を眺めながら感じたそうです。「今日という日が沈み、また明日という日が登る。このように毎日が転換期だ。その日その日自分が失敗したことに対して、自分を叱り、悔しく思える人が、明日の仕事に希望があり、また人生において成功できる人だ。」

どうすれば「挑戦する人」になれるのか

最後に、どうすれば挑戦する人になれるでしょうか?挑戦を楽しいと考え、喜ばなければ、挑戦したくなくなります。

そのためにまずは、私は何でも「人任せにしない」ことだと思います。高いお金を払って料理を食べに行くと、作ってもらった料理に少しでも満足がいかないと残念な気持ちになり、腹が立ちます。しかし、高級レストランほどの水準は難しくても、自分で一生懸命作った料理は、多少欠点があっても気にしません。どんな小さなことでも自分で責任を負ってやっていくことが喜びであり、楽しく「挑戦する人生」に繋がっていくのではないでしょうか。

探検家も「誰かが写真や映像で撮ったものを見るのではなく、自分の目で見てみたい」と思うから、自分で目標を定めて挑戦をしていくのです。

自分でできることが増える、次元が上がるということは、本当に幸せなことであり嬉しいことです。自分の人生は自分が責任を負うのですから、人任せや人のせいにせず、挑戦してできることを増やしてこそ喜んで生きていけるのではないでしょうか。

そして、小さな挑戦を毎日少しずつしていくことだと思います。運動を全くしていなかった人が、フルマラソンを楽しく走ることはできません。小さな挑戦を続けていくと、挑戦することが楽しくなり、大きな挑戦をする気力と体力が養われます。

私自身、少し前に運動不足が続いていた時があるのですが、一念発起をしてスマートウォッチを購入しました。「せっかく買ったんだから」と思って再び運動を始めたのですが、そうすると少しずつ走れる距離が伸びたり、タイムが速くなることが楽しくて、毎日楽しく運動をするようになりました。

運動だけではなく様々な自分との戦いにおいても、楽しくコツコツと挑戦を積み重ねる人になりたいものです。

まとめ

今日は挑戦を妨げるリスクと、本当のリスクについて考え、どのように乗り越えるべきなのかをお話してきました。困難な状況もやってきますが、挑戦し、次元を上げて素敵にご自身を作られる皆さんになることを祈念しています。