「目標」を「目的」と考える残念な人の末路

「目標」を「目的」と考える残念な人の末路

Vol 2 目的意識と効果性

シリーズ「ここに神経を使う人が逸材になる」。第2のテーマは「目的意識と効果性」です。先行き不透明な時代(VUCA時代)においては、働き方がますます多様になることが予想され、今まで以上に働く人個々人の目的意識が重要視されるようになります。そしてその目的意識は、個人が社会やコミュニティにもたらし得る有益と効果へのコミット(決意)と切っても切れない関係があります。

はじめに

「仕事には目的意識が大切だ」という話は、社会人であればよく聞くかもしれません。

社員研修でもこのテーマが扱われることが多いですが、目的意識を共有することによって組織に求心力が生じる段階に至るのはなかなか難しいこともあります。その要因の1つに「同じ会社で働いていても、目的と目標についての認識が人によってバラバラ」ということがありますので、今回は、目的と目標の違いについて、改めて確認していきたいと思います。

目的と目標の違い

目的と目標は何が違うのでしょうか。

「目標は手段、目標はゴール」など様々な見解がありますが、ここでは立てられた目標に対して「それは何のためか?」という問いに対して生じた解が目的と定義して考えてみます。

例えば、ある人が「TOEFLのスコアを600点にする」という目標を立てたとします。「TOEFL600点を目指すのは何のため?」と問われたとき、「何となく」が解の場合は”目標はあるけど目的はない状態”と言えます。一方、「留学するため」という解が生じた場合、その人にとって「TOEFLスコアアップ」は目標、「留学する」は目的になります。

また「留学するのは何のため?」と問われたとき、「グローバル感覚を身に付けるため」とさらなる解が生じたら、「留学する」は「TOEFLスコアアップ」の先にある目標になり、「グローバル感覚を身に付ける」は目的になります。

またさらに「グローバル感覚を身に付けるのは何のため?」と問われたとき、「外資系企業に就職するため」という解が生じたら、「グローバル感覚を身に付ける」は先にある目標、「外資系企業に就職する」が目的になります。

このように、立てた目標に対して「~のため」という問いを重ねていき、生じる解の最終段階が目標に対する目的だと考えられます。

実は、コーチングの現場で様々な方々にお会いすると、この目標と目的のレベル感が人によって相当バラつきがあることに気が付きます。目標と認識すべきことを「目的」と呼んでいたり、「何のために」という問いに対する解でははない目的を設定していたりするケースが、後を絶ちません。

就職や転職は「目的」にはなり得ない

目標と認識すべきことを「目的」と呼んでいるケースで特に多いのが、就職や転職を「目的」として認識することでしょう。

例えば「学校の先生になりたい」と思って教職課程を取りながら頑張ってきた学生は、学校の先生になることを目的にして、教育実習で優秀な成績を修める目標や、児童クラブで子供と触れ合う機会を作る目標を立てて頑張って達成してきたと考えます。

しかし、就職は社会人としてのスタートラインに立ったことに過ぎず、「先生になってどんなことを成し遂げたいか?」また「どんな教育を実現したいか?」の方がずっと大切なのは言うまでもありません。つまり本来、就職は目標になり得ても目的にはなり得ないのです。

また、憧れの業界への転職を目指す社会人が、転職活動を成功させること自体を目的にして多数の転職エージェントを利用していたとしても、「何のためにその業界、その会社に入りたいのか?」という問いに対して解が無い場合、選考が進むことは期待できません。採用企業は、採用後その人が具体的に自社にどんな貢献をしてくれるのか?に関心を持つからです。やはり転職も目標にはなり得ても目的にはなり得ないと言えるでしょう。

このように目標を立てること自体は素晴らしいことですが、その目標が「何のため」という自問自答が足りないことで目標を目的と認識してしまうと、後から思慮の浅さに気付くという残念なことが起こってしまうのです。

「何のために」に対する解ではない目的は違和感でしかない

さらに、仕事上の目標は立てるけど「何のために」という自問自答が足りないまま、社会人としての歳月が過ぎるとどうなるでしょうか。

最近は市場の変化が激しくグローバル化も進んでいる状況の中で、大手中小に関わらず自らの存在意義について活発に議論し、生き残りをかけて企業努力を重ねています。「何のために存在するのか?」という問いの解が企業であれば”ミッション”に該当するので、経営層をはじめ組織全体がこの問いについて考え議論をすることがとても重要ですが、深く考えることを怠ったり今まで通りの経営を続けられることを念頭に置いたりして安易に目的を設定すると、「壮大で立派だけど誰も実感が湧かない」目的になってしまいます。

例えば「日本中に笑顔を届ける」ことを目的とする企業があるとするならば、笑顔を届けることに繋がる”何か”が目標である必要があります。ところが、それに該当する目標もなく経営層やミドル層が皆しかめっ面で仕事をしている場合、その目的は社員にとっても顧客にとっても違和感以外の何ものでもありません。そして真実な目的とも言えません。

このように、社会人生活をしながらも「何のために」を深く考えずにより指導者的な立場になってしまうと、ついてくる人たちが違和感を抱くしかないような目的しか設定できず、結果として指導力も発揮できなくなるのです。

まとめ

有能な人材はビジョンについていくと言います。

年齢が若い時や社会人としての年次が低い時には、目標をひたすら追いかける生き方や仕事ぶりでも認められるかもしれません。しかし、人を引っ張る立場になると「自分はこのために仕事をしている」という”自分の言葉で語れる真実な目的”が不可欠です。

「何のために」という自問自答を怠り目標を目的として考えてしまう人には、部下や後輩に対して”何も見せるものがない”という残念な未来がやってきかねないことを、知る必要があるでしょう。