「本当に友達は必要か?」良い人をやめた時に、必要とされる自分になる

「本当に友達は必要か?」良い人をやめた時に、必要とされる自分になる

「どんな環境にも臨機応変に対応できる」「誰とでもすぐに打ち解けて仲良くなれる」そのような性格の人はとても魅力的です。しかし一方では、柔軟性が高すぎて自分の考えや意思をしっかり持てなかったり、自分の意見を押し殺してでも周りに合わせてしまう「八方美人」にもなり得るということです。「良い人」でいようとして、本当の自分がわからなくなってしまう危険性もあるでしょう。今回は、どのようにしたら八方美人を抜け出し、本当の自分を見つけてより良い対人関係を築いていけるのか、私自身の体験を交えてお伝えしたいと思います。

 

1)八方美人は苦しかった

  中学生という思春期、当時の私はまさに「揺れる葦」。日々自分探しをしていました(笑)。 きっかけは、部活の副キャプテンや生徒会副会長、学級委員などを務めたことでした。「副」がつく役職が多かったのですが、思春期にして経験した、人生初の中間管理職です(笑)。先生や組織トップの意向が分かるので一緒に進めないといけない反面、皆から「いい気になってる」と思われるのは嫌。どうすれば皆をまとめる事ができ、嫌われない自分になれるのか、自らの立ち振る舞いについて悩みました。様々に考えた結果たどり着いたのは、「良い人」になるという結論でした。いつも笑顔で敵を作らないようにすることで、まさに「八方美人」だったのですが、効果は上々、人に嫌われずに無難に役割を果たすことが出来ました。しかし「良い人」でいる事は、素の自分を出せずいつも着飾っているような状態で、正直めちゃくちゃ苦しかったです。幸いサッカーという唯一没頭できるものがあったので、その時間だけが救いでしたが、それがなかったら自己崩壊を起こしていたかもしれません。

 

2)「良い人」からの脱皮


 八方美人な自分を抜け出す事ができたのは、高校でサッカー部のキャプテンになった時でした。キャプテンという立場は、「良い人」では務まりません。嫌われたとしても仲間にビシッと言うべき事を言わないといけない時がありますし、顧問の先生に対しても恐れず自分の意見をハッキリ言うことも必要でした。「良い人」を演じないキャプテン時代は、孤独な時も多くありました。クラスも部活も同じだった友達が「あいつ部活で偉そうに」と離れていってしまう事もありましたし、皆はゆる〜くやっても自分は同調できないという葛藤が毎日で、「キャプテンの自分」と日々戦いました。当初はキャプテンという役回りを恨み、苦しかったものの、嫌われても信念を持って全力で取り組む自分と一緒にいてくれ、支えてくれる本当の仲間たちが徐々に出てきて、大きな力をくれました。「八方美人」でも「良い人」でもなかった自分が、むしろ素晴らしい人間関係を築くことができ、人間として成長もすることができた経験は、大きな財産となりました。
 誰もがキャプテンやリーダー、指導者になる機会がある訳ではないと思いますが、どんな立場や境遇だとしても、周りの人に合わせて「良い人」を演じて生きたところで、その場をただやり過ごす事しか出来ず、その時得られる成長のチャンスに全力で向き合っていない分、得るものは多くないのではないでしょうか。

 

3)「友達」が多い=幸せ、ではない

  中学の頃の私もそうでしたが、八方美人な性格がメリットばかりじゃないと頭では分かっていても、周りにどう思われるかを気にして行動してしまう人も多いんじゃないでしょうか。恐らく、その根底にあるのは「嫌われたくない」という考え方ではないでしょうか。そして「友達がたくさんいる方が豊かな人生だ」という考え方が、自分の人生の成長を邪魔しているんじゃないかと思うんです。
そもそも、友達って必要なんでしょうか?こう言うと、ドライな人間だと思われるかもしれませんが、私は友達がいなくても良いと考えています。 と言っても、私には心から信頼できる人はいますし、かけがえの無い人もいます。人に対して関心がない訳ではなく、むしろ人が好きなタイプの人間です。しかし、頻繁に連絡を取り合ったり、しょっちゅう会うという特定の人はいません。もちろん、旧友たちと会いたい思いは強くありますが、今やらなければならないことが多く、正直時間がありません。


「あなたが悩みにあう日には兄弟の家に行くな、近い隣り人は遠くにいる兄弟にまさる。」(箴言27章10節より)

 人はその都度その都度、やらなければならないことがあります。豊かな人間関係というのは、その時その状況下でのパートナー、現実の身の回りの人たちと築くべきものだと思います。

 リーダーという責任ある立場ならば尚更で、まず部下や一緒に仕事をする仲間を最優先に考えてあげ、時間を投資すべきだと思います。親という立場ならば、子供に出来る限り時間も愛も投資すべきで、夫ならば妻に最優先に時間も愛も投資すべきでしょう。限られた時間、労力です。いつか神様が機会を下さった時、旧友たちと豊かな時間を過ごすことを楽しみに、現実に全力でぶつかり急ぐ人生の旅路をしっかりと行くべきではないでしょうか。

  私のポリシーとして、何か企画やプロジェクトを進める中で関わる人たちとは、いつも全力で向き合うようにしています。そしてただ合わせるのではなく、自分の意思を持って全力で向き合っていく中で、信頼関係はできると信じています。同志、戦友とでも言うんでしょうか、そういう人たちは八方美人な自分では生まれません。素の自分、全力で努力する自分でこそ、得られる宝だと思います。事実、年齢や性別などに関係なく、そういう存在が多くいらっしゃることは、私にとって本当に幸せなことです。

 

4)「嫌われたくない」という弱い自分と向き合う

 

 八方美人は、害ももたらさないけど、有益ももたらしません。私は有益をもたらす人になりたかった。だから、一時的には嫌われたり理解されなくても、その時自分に求められることが何かを追求し、全力で取り組むようにしました。少しの勇気と覚悟が必要な選択でしたが、その選択がむしろ自分自身を自由にさせ、成長させてくれたと今では思えます。


「世の人は我を何とも言わば言え 我が成すことは我のみぞ知る。」

これは、幕末に活躍した坂本龍馬の言葉で、高校の頃の私に力をくれた言葉でした。この言葉を今、自分なりに言い換えるならば、「我が成すことは天のみぞ知る」でしょうか。私は今、もがきは多いものの、本当に幸せな人生を歩んでいますが、自分でもこのような人生になるとは予想していませんでした。自分でも自分のことが分からないのに、ましてや「自分のことを完全に分かってくれる人」など存在しえません。友人はもちろん、親子でも、夫婦でもすべてを理解することは出来ません。いるとすれば、神様だけが、ご存知でしょう。人の目を意識して生きるのではなく、自分が自分を見て、神様から見て正しく生きれば、素の状態でもいつも有益をもたらせる人になるのではないでしょうか。


「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」(マタイによる福音書11章28〜30節)。