努力する人のための「嫉妬への対処法」~時計のように淡々と~

努力する人のための「嫉妬への対処法」~時計のように淡々と~

「職場の雰囲気が重苦しい」
「何だか冷遇されている気がする」

仕事を頑張っている人が感じる「何か」は、職場に蔓延する嫉妬心が元になっている”空気”かもしれません。今回は日本社会の諸問題の病理ともいえる嫉妬について、嫉妬への対処法について考察していきます。

※本記事は2021年1月21日の記事のリメイク版です。

職場に蔓延する嫉妬

私が人事コンサルタントとして企業に関わらせていただく際、今後”トップパフォーマー”として活躍しそうな人材と面談することがあります。組織の上位20%を占めると言われる”ハイパフォーマー”より更に上を行くのが”トップパフォーマー”ですので、数は多くないですがじっくり話を聞くとかなりの確率で次のような事情を耳にします。

・報告や提案をすると、注意や指摘というより言いがかりや難癖に近いことを言われる
・過去の失敗や些細なミスを執拗に責められる
・同僚のちょっとした功績を大げさに褒める一方で、自分の大きな仕事の成果は無視するか軽んじられる

このような周囲(特に直属の上司や先輩たち)の態度によって、少なからず仕事へのモチベーションが下がってきているケースがありました。

こういったトップパフォーマーが受ける仕打ちは、概ね、妬みや嫉妬の感情が元で生じるものですが、ビジネスの場においては「何でお前ばかり褒められる?」「成績が良いあなたが妬ましい」と素の感情を表明することが歓迎されないことは明らかです。よって「(トップパフォーマーの仕事ぶりや人となりに)何かしらの問題があるから」という理由を持ち出して上記のような接し方をしてくる訳ですが、根本が悪感情なので、その言い分は妥当でもなく公平でもないケースがほとんどです。

もちろん、自分に非がある場合は改善が必要です。しかし、大切なのは、まず職場には嫉妬が存在し得るし、火のないところに平気で煙を立てる人もいる、ということを知っておくことです。

嫉妬する人は他人を「見くびる」

福澤諭吉は、妬みや嫉妬を抱いた人間と交際することは害だと語っています。(「其交際に害あるものは怨望より大なるはなし」〈福沢・学問のすゝめ〉)

この『怨望(えんぼう)』とは、恨みや嫉みのことで、怨望を抱いた人間は自分を高めようとするのではなく、他人を陥れることによって満足を得ようとする、と書かれています。

この「他人の足を引っ張り他人を陥れることによって、相対的に自分の立場を有利にしようという残念な行為」は、江戸時代の大奥で横行したとも言われています。

大奥では、数百人の女性たちが将軍とその家族のために奉公していましたが、学識も努力も必要なくただ将軍の寵愛を受けることを望む閉鎖的な集団でした。その中では、「大して美しくもないのに殿に愛されてずるい」「あの人より自分の方が序列が上なのに大事にされていて憎らしい」という嫉妬が渦巻いていたと。火のないところに煙を立てるような中傷合戦や派閥争いが、日常茶飯事でした。

福澤諭吉は、このような人間の文化的な生の営みに何の有益ももたらさない「怨望」をなくすためには、学問が不可欠だと説いたのです。

この「大奥では嫉妬が渦巻いていた」という事象を通して、嫉妬が「学び努力し労苦した結果、成果を手にする」という仕事上での成功に不可欠な”主体性の高い考え方”とは無縁であること、そして、嫉妬する人が「成功した人が相当な努力を重ねてきた結果を手にしている」ということを想像できずに、ただ運良く、または小賢しく幸福を手にしていると思い込んでいることを推察することができます。

つまり、嫉妬する人というのは、嫉妬の対象と自分が同等の努力、能力、外見、品格などのレベルだと思い込んでいる時点で、人を見くびっているのです。

「新しいこと」を無条件に嫌う人たち

アメリカの科学史家 トーマス・クーンは名著『 科学革命の構造』の中で「本質的な発見によって新しいパラダイムへの転換を成し遂げる人間の多くが、年齢が非常に若いか、或いはその分野に入って日が浅いかのどちらかである」と語っています。

パラダイムとは物事の見方・考え方の枠組みのことを指しますが、過去の歴史を振り返ってみるとビジネスに限らず新しい変化をもたらしたのは、いつも若者や業界初心者でした。

米大手物流会社フェデラル・エクスプレス(現フェデックス)の創業者フレッド・スミスが、現在世界で主流になっている夜間物流システムを考えたのはエール大学の学生の頃でした。教授からも「現実的ではない」と低い評価されたシステムで業界全体を覆す働きを成しましたが、当然既存の業界人からは嫌われ排斥されました。

フェデックスに限らず、新しい何かを始めようとすると、より古い時代に既得権益を得ていた人たちが猛烈に嫌ってくるという事例は、枚挙にいとまがありません。

もちろん年齢だけでこの点を論ずることは不可能ですが、新しいイノベーションを起こす人のことを無条件に嫌う人の心理には、「若造のくせに」「後輩のくせに」「新参者のくせに」という嫉妬の念があることは否定できないでしょう。

嫉妬への対処

ここまで、嫉妬について論じてきましたが、大切なのは、嫉妬するのは嫉妬する側の問題だということを知ることだと思います。

向上心があり大きな目的のために生きようとする人ほど、あからさまに悪感情をぶつけられると怯んでしまうことがありますが、リーダーシップを発揮し、人よりずば抜けた成果を残したければ、皆に良く思われて嫌われないことはほぼ不可能だと考えた方が良いでしょう。繰り返しになりますが”人望は人気とは別もの”だからです。

「なぜ、自分はあんな風に冷遇されるんだろう?自分が目立ち過ぎたのがいけないのかな…」などと考える必要はないということです。

そのように心配し悩んだら結局は自分の損になります。足を引っ張られて意気消沈したり争ったりしたら、嫉妬する人たちの思惑通りになりますが、無念な思いをさせられた分、もっと奮起して業績を上げることができれば、嫉妬する人たちのおかげで自分がもっと良くなったという結末を迎えることもできるでしょう。

仕事の意義は結局やったかやらなかったか、結果を残したか残さなかったにあるというのが、私の主張です。火のないところに立つ煙の中でも、自分のすべきことに専念し、止まらない時計のようにすべきことを粛々と実行する。このことを、嫉妬されて心を痛めている有能な方々にエールとしてお届けしたいです。