モラハラより恐ろしい?!あなたの精神をジワジワ削る「ガスライティング」とは?(前編)
はじめに
「あの上司と話すと、言葉で表現できないダメージを受ける」
「あの先輩と話すと、『自分が間違っているのか?』といつも何かがおかしいと感じる」
「果てしなく説明コストがかかり、疲れ果てている」
もし、皆さんが職場でこのような思いをされたことがあるなら、それは「ガスライティング」かもしれません。
ガスライティングとは、精神的に相手を支配する心理的虐待の一種を指す言葉です。2022年、アメリカの老舗辞書出版大手「メリアム・ウェブスター」が「今年の言葉(Word of the Year)」としてこの言葉を選出したことをきっかけに、日本国内でもメディアなどで紹介されることが増えたため、ご存じの方も多いことでしょう。
心理的虐待というと「モラハラ(モラルハラスメント)」が有名ですが、ガスライティングはモラハラに比べて手口が巧妙で、被害者が虐待や支配を受けていることに気づきにくいという特徴があります。モラハラであれば、人格否定の言葉や過度の叱責など、客観的に確認しやすいサインがあるため、状況が整えばコンプライアンス違反として取り締まることも可能です。しかし、ガスライティングの場合、加害者が一見「いい人(善人)」である場合が多いため問題が表面化しづらく、さらに受けた側に長期間にわたるダメージを与えてしまうという点で、一層深刻だと言えます。
ガスライティングは、これまで主に夫婦間の関係性という文脈で語られることが多かった言葉ですが、実際にはビジネス、政治、学術などあらゆる分野の組織で頻発しています。
今回は、社内で起こるガスライティングを想定して、その特徴と対処法をご紹介します。この記事を読まれる方の中で「自分が苦しかったのは、自分のせいではなくガスライティングのせいだったんだ」と気づき、解放される方がいらしたら望外の喜びです。
ガスライティングの概略と代表的な手口
改めてガスライティングを定義すると、「心理的な手段によって、相手に『私は正気なのか?』と自分自身を疑わせるように仕向けること」と言えます。 この言葉は、1938年のイギリスの大衆劇『Gas Light(ガスライト)』に由来します。夫が妻を巧みに騙し、孤立させ、心理的に従属させる様が描かれているところから、“相手の認知をゆがめ自信を失わせる心理操作の手段”として社会に認知されるようになりました。
ここで、代表的なガスライティングの手口をご紹介します。皆さんの職場生活の中で体験したことがないか、身に覚えがないか、確認してみてください。
- 否認
加害者が自分の行動や発言に責任を取らないことです。例えば上司が部下に「そんなことは全然言っていない」「おまえが勝手に思い込んだだけだ」と嘘をつき、責任転嫁をします。どう思い込んだのか、どう誤解したのか説明を求めても、明確に答えることはありません。 - 聞こえないふり
相手の言っていることに対して、分からないそぶりを見せる手口です。例えば上司が「おれはそんな話は聞いていない」「君の話はわけが分からない」「そんな風にワーワー言われてもよく分からないよ」などと言って、相手の思考や伝え方がおかしいと思わせます。 - 矮小化
相手に、自分の考えや望みはやりすぎで、分不相応だと感じさせることです。相手が自分の考えを伝えているときに、「大げさ」「考えすぎ」「ずうずうしい」「感情的すぎる」「ヒステリックだ」と言って、相手の話を軽んじます。 - 価値下げ
相手の考えの情報源を疑って見せることで、相手の話の信ぴょう性に疑問を抱かせることです。例えば「どうせ、おまえはSNSの情報を鵜呑みにしているだけだろう」などと言って、相手を支配しようとします。 - 無効化
相手の記憶そのものを疑うことです。上司が部下に「おまえの記憶力は当てにならない」とか「君は思い込みが激しい」などと言って、事実の認識自体を否定し、相手に自分自身を疑わせます。
この他にも「ステレオタイプ」「論点のすり替え」などが挙げられますが、どれも相手の正常な認識力を見くびり、尊厳を損なう心理的虐待だということがご理解いただけると思います。
《あるシステム開発会社での事例》
ここで、実際に起こったガスライティングの事例を、状況をやや加工した形でご紹介します。
都内のシステム開発会社に勤務するAさん(34歳)は、カスタマーサポートの部署に所属していました。ある時、大口顧客からのクレームをきっかけに、販売していたシステムの重大なバグ(欠陥)を発見してしまいます。Aさんは随時、上司や関係部署に状況を報告しますが、上司は「他の顧客からクレームが挙がっていないし、そこまで重大と言える問題なのか分かりかねる。A君はものごとを大げさに考えすぎるから」と言って、対応しようとしませんでした。
責任感が強く誠実なAさんは可能な限り顧客に寄り添い、どうしたら課題を解決できるか研究を重ねました。その結果、社内の別のシステムと共有コンテンツを組み合わせることで、顧客の問題を解決できることが分かりました。結局、Aさんが主導する形で運用を始めたことが軌道に乗り、その顧客もAさんの対応に納得し、契約の打ち切りを防ぐことができました。
後日、Aさんが対応したシステムバグは社内でも問題として表面化しました。Aさんの上司が役員に説明を求められた際、上司は「私は自分でも現場に問題があるか把握するのに1年位忙しかった。問題がないとは一言も言っていない」と弁明しました。 その話を聞きつけたAさんは、「この件については、顧客が契約を打ち切る寸前にあるほど事態が深刻だと、課長に何度も報告しましたよね?」と伝えました。しかし上司は、「こちらは忙しいので、そんな風にギャーギャー言われてもよくわからない」「君は、いつも何が言いたいか分からない長い報告文を送りつけてくるよな」と論点をすり替えました。
さらに、Aさんが担当した大口顧客が契約続行となったことを本部長に報告する場が設けられました。しかし、その席をアレンジした上司は、Aさん以外のカスタマーサポートのメンバーたちを呼び、一番尽力したAさんを意図的に外したのです。 そのことを不審に思った他の社員の一人が「なぜ、顧客の問題解決のために奔走したAさんを外し、担当外の自分たちが呼ばれているのか?」と疑問を呈したところ、上司はこう言いました。 「Aさんを参加させないなんて自分は明言していない。Aさんが『自分が外された』と思ったのはただの誤解だ。なぜ自分がAさんを外したことになっているのか?」
最終的に、Aさんが参加しない報告会はあまりにも不自然だという周囲の意見に押されてAさんは参加できましたが、Aさんの心にはぬぐえない違和感とダメージが残るようになりました。
いかがでしょうか。怒鳴り散らすとか人格を攻撃するといったあからさまなハラスメントはないものの、「二度とこの人と一緒に仕事をしたくない」と思わせるのに十分な、理不尽で不誠実な対応ではないでしょうか。
ガスライティングの正体
Aさんの上司の言動から「ガスライティングの正体」が透けて見えてきます。ガスライティングとは、
・自分の不誠実さを相手のせいにする(責任転嫁)
・自分の未熟さや実力のなさを、相手の問題にすり替える
この2点に集約されるのです。
なぜ、Aさんの上司はこのような理不尽な対応をとるのでしょうか。単なる性格の悪さではありません。この点については、後半で詳しくお伝えしますが、このようなガスライティングが起こるのは加害者が抱える未熟な精神性と、自己正当化のための防衛本能が原因です。つまり、この上司は上司という役職に就くほど誠実でなく、成長していなかったということです。
このようなガスライティングを受ける人は、精神的には相当なダメージを受けます。その場での相手の不誠実な態度や言葉に傷つくこともありますが、もっと恐ろしいのは、「自分が悪いのかもしれない」「自分がおかしいのかもしれない」という疑念を持ってしまうことです。自分の感覚を信頼できなくなると、自分の中に生じる「これは何かがおかしい」という違和感を尊重することができず、ますます自分が精神的に崩されていることに気づけなくなってしまうのです。これが、ガスライターのそばを離れても継続するガスライティングによる精神的支配の恐ろしさです。
まとめ
もしあなたが今、職場で言葉にできないダメージを受け、「自分がもっと頑張れば」「自分の伝え方が悪かったのだろうか」と悩んでいるなら、ぜひともお伝えしたいことがあります。
あなたが苦しいのは、決してあなたの能力不足でも、努力が足りないからでもありません。ガスライティングをしてくる加害者の問題(病理)であり、あなたは悪くありません。
ガスライティングのターゲットに選ばれるのは、往々にして「責任感が強く、誠実で、他者の痛みがわかる優秀な人」です。ガスライティングを受けるだけで相当なダメージですが、そこに「自分が悪かったのではないか?」という自責の念が加わることで、さらに精神が削られてしまいます。 まずは、あなたが不当に自分を責めていることがないか、自分自身を点検する機会としていただければ幸いです。
※次回、後編では、ガスライターの本質、ガスライティングを受けない方法、ガスライティングを受けてしまった時の対処策についてご紹介します。
<参考文献>『ガスライティングという支配』アメリア・ケリー著、野坂祐子訳 日本評論社
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